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だいぶさよなら、二次元関連グッズとなった、理由

「やばい、ここで買わなかったら、買えないかもしれない・・・。けっこうする。9000円か・・・。でも、うーん・・・。でも、ここで買わなかったら、後悔するんじゃないか!おれ、いやあ、でも、徐々になくなってきているぞ!」スマートフォンの画面をみること30分。画面を更新するたびに、「9点在庫あり」が「8点」・・「7点」、「6点在庫有り。ご注文はお早めに」と、リアルタイムで売れていくのがわかる、黄色信号である1文が俺を焦らせ、最後の一歩である、1クリックを急かす。

そして、「3点在庫あり」あたりになって、「ここで、買わなかったら本当に買えないかもしれない!」という意識が、俺の理性を欲求の渦の奥底へと沈め、

ポチ。購入完了。



「うううおおおお!!このグッズはゲットしたいなぁふあああ」コミックマーケット1週間前。サークル、企業を含めて限定グッズや同人誌をしらべるのが楽しくて楽しくてしかたがなく、そしていざコミックマーケットなどのイベント当日に始発でいって、何時間もまち、何時間もならび、限定グッズをゲットしたときの満足感といったら、その瞬間だけのものであり、いざ家にかえると、とりあえず一回みて、満足してお蔵入りするアニメ・PCゲーム関連の限定グッズや同人誌・グッズたちが90%以上。

そんな生活から、俺は脱したかった。

そこで、俺は、今年のはじめ、とある本をAmazonのKindle Storeでダウンロードした。
それが、ベストセラーとなった、「こんまり」こと、近藤麻理恵著の「人生がときめく片づけの魔法」(サンマーク出版)である。

この本で提唱する片づけの方法は、自分がもっているもの、ひとつひとつを手に取って、「ときめくか」「ときめかないか」で捨てるものを選ぶというものである。「ときめかない」モノに対しても、かならず意味はあり、なぜそれを購入したのかを思い出して、感謝するというのもこの本独自の視点であり、ふむふむなるほど、捨てるものに対しても感謝するのかということで、こんまりの本の手順にしたがって、片付けを開始した。片付けるものにも順序が設けられている。このへんは割愛する。気になったら、読んでみてくれ。

そして、カテゴリーとして「本・CD」などのものをスタートすることになった今年の春と冬の間。

「ついに、このカテゴリーがきたか・・・」俺が最もどうにかしたかった、カテゴリーである。まずは、カテゴリーごとにすべてを出し尽くして、居間に並べて、ひとつひとつ手に取って「ときめくか」「ときめかないか」を肌と眼と精神で感じる。

結果。時間と金をかけてゲットしたフィギュアが半分「ときめかない」ものとなった。そして「ときめくもの」はそのまま残すことにした。そしたら、明らかにとあるメーカーから生まれたキャラクターのものばかりが残り、そしてそこに残った「ときめく」フィギュアたちをみているうちに、「あ、もうフィギュアはここに残したときめくものだけで、俺は満たされるな」ということを、「発見」し、もうフィギュアを買うことはないだろうと、その瞬間、確信した俺がいた。

ワンフェスなどのイベントで、フィギュアを撮影するのは楽しい、つまり「ときめく」ので、これからも続けていくつもりだが、「ときめいた」フィギュアたちをみているだけで、「所有」することに対する心の欲求は満たされているので、今後も買うことはないだろう。

あとは、限定グッズや同人誌たち。これも、捨てた。去年の冬コミで買ったものも、バンバンすてた。購入して、2、3か月しかたっていないのにもかかわらずだ。だが、俺はそんな捨てた、とあるアニメの設定資料集などに対して「買う前、そして買った瞬間に高揚感をあたえてくれてありがとう」と感謝をして、ごみ袋にいれた。

そんなこんなで、捨てていくうちに、「あ、もうノリとかでコミケとかいかなくていいかな」と思い、本当に好きなメーカー(これは、2つしかない)が出す本当に「ときめく」グッズ以外は、買わなくなった。そういう「ときめく」グッズも年に1回くらいしかでてこないから、こっち関係で購入する「物量」は明らかに減った。

そんなこんなで、二次元関係のものの整理をして、もう半年は経過しているが、こっち関係に無駄な金使っちまったなーと思うことが皆無となった。

ぶっちゃけ、「人生がときめく片付けの魔法」に書かれている片付けを完遂していない、なんとも中途半端なクソ野郎な俺であるが、少なくとも、大きな目的は達せられた。

とはいっても、俺はアニメも好きだし、欲しいPCゲームがでたら、買うだろう。しかし、そこに、今まで「ああ、無駄なことしちまったー」という意識は芽生えることは、今後もないだろう。

・・・もう一回、ちゃんと片づけをリスタートさせないとな、こんまりの本を手に取って。




さて、何度もツイッターではつぶやいているが、Aphex Twinが13年ぶりに新作「Syro」を発売する。
9月24日発売。これを聴かずして、今年、何を聴く?間違いなく、今年の最注目アルバムである。





あと、今年のサマソニで観て以来、そのすさまじさにやれれて、ずっと聴いちゃっているBABYMETALの曲より、ひとつミュージックビデオもはっておく。2015年1月10日、さいたまスーパーアリーナでの公演が決定。きっと、プレミアチケットになるだろう。チケットとれるかなぁ~。うーん、安室奈美恵とか椎名林檎のライブチケットよりもゲットするのが難しそうDEATH!

SU-METAL、嗚呼!!




あと、BABYMETALは、10月29日に、新しいライブブルーレイ・DVDを発売するぞ!そのティーザームービーが先日公開されたのだが、もう、笑えるくらい、かっこいいです。これも要注目パッケージDEATH!


最近の安室奈美恵の「独立騒動」のいくつかの記事を読んで思ったこと

「これでは奴隷契約です」そんな文章が8月6日売りの週刊文春にどどんと載っていて驚いた。

 今いろいろなメディアでとり上げられている「安室奈美恵 事務所独立」騒動。
かいつまんで報道されている内容を書くと、今年の5月に安室奈美恵が所属する「ライジング・プロ」に、彼女が「これでは、奴隷契約です。こうなったら、独立します」といった内容の文書をたたき出した。楽曲の原盤権の一部権利も主張するような、事務所側にとっては、「到底うなずけない内容」の報酬条件が書かれた文書だったということだ。この突然の安室奈美恵の独立宣言には、音楽プロモーターの西茂弘氏がかかわっており、彼がそそのかして独立を急にいいはじめたとか、さらに黒幕がいて、その黒幕が週刊誌に今回の騒動をあえてリークさせて、安室を窮地から救うみたいなかたちで、安室が生み出す収益を手に入れようとしているとか、安室は、「洗脳」されて、独立しようと思ったとか・・・まあ、そんな感じの記事がネットでも飛び交っているわけだ。

8月6日に文春が、7日に女性セブンが、上記のような記事をドドンとスクープ記事で掲載したところをみると、いろいろな記事でも書かれているように、事務所側が「ええい!安室!そんなに勝手なことをいうと、こういうことになるんだぞ!」ということで、あえて、リークして今回の記事が成立したといえるだろう。それが一番納得いく。

安室奈美恵は8月22日からツアーをスタートさせている。ファンたちが、「ああもうちょっとで、安室ちゃんのツアーがはじまるよぉ!超楽しみ!」と高揚感がピークになる時期にこの記事が掲載されたというタイミングの良さを考えると、巧妙に仕組まれた展開だとしか思えない。コンサート直前に行えばコンサート制作のプロモーターの西氏に対しても、『警告』のようなものとして記事が機能する、といったところだろうか。文春の記事中に掲載されていた西氏のインタビュー箇所では、「あくまで安室と僕はビジネスパートナー以上の関係ではない」といったような釈明をしていたが・・・。

西氏と安室の親密性はもはや「恋人」でしょ?といった記事もある。しかし、個人的にそんなことはどうでもいい。

黒幕がいようと、いなかろうと、なんであろうと、今の安室奈美恵の活動方針、内容を一番熟知しているはずの事務所側が今回の騒動を週刊誌にリークしたことに対して、僕は「事務所は、バカなのか?」と思ってしまった。

今の安室奈美恵の“STYLE”は、個人的にはいつも「女性ファッション誌に掲載されているルイ・ヴィトンの広告」のようなもの、と心の中でたとえている。
ルイ・ヴィトンなどの誰もが知っている(とくに外資の)ファッション・ブランド広告をみると、特に文字は書いていないのが基本だ。ルイ・ヴィトンの服を身にまとったモデル、あるいは製品そのものの写真+ブランド名。それだけの広告。ついつい目がいってしまう端正で、みた瞬間一発で「あ、ルイ・ヴィトンってかっこいい」という気持ちにさせる、その広告。ルイ・ヴィトンというブランドが圧倒的な存在だからこそ、何も説明文が、キャッチコピーがなくても広告として成立してしまう、そのブランド力―。

安室奈美恵はいまテレビにも一切でず、最近は芸能人が公式で当たり前にプロモーションのために行っているSNSの利用を一切やっていない(facebookの投稿もスタッフが行っているようだ)。

彼女の露出方法は、女性に憧れやファッション・トレンドをふりまく、いうなれば「カリスマ」という像を作り上げるのに最良といえる女性ファッション誌と、ライブ、それしかない。MCが一切ないかっこいいライブと、かわいい・かっこいいを一枚の写真で表現する女性ファッション誌に掲載されるシューティングと、そこでしか読めない女性のあこがれを喚起するかっこよく、時には親近感がわくインタビュー記事。
ネットもこれだけ発達していて、いろいろな露出展開ができるはずなのに、安室といったら、これだけ。安室奈美恵は「とにかくかっこよくて、かわいくて、もう本当憧れ!カリスマ!」と思わせることに特化したこうした活動を今現在、貫いているのである。そこから創り上げられた安室奈美恵の像は、まさにルイ・ヴィトンの広告のように、みた瞬間一発で、「かっこいい」と思わせるブランド力をもつもの、いやブランドそのものであり、多くのファンがそんな彼女に魅了されている(僕もだ)。

しかし、圧倒的なブランドというのは、水をさすようなことがあると、あまりに明確なブランド・イメージをもっているがゆえに、ダメージをうけやすい。

事務所側が、文春などに情報をリークし、安室奈美恵にお灸をすえるというやり方は、この安室奈美恵という「ブランド」に傷をつけるということである。これが、どれだけ安室奈美恵という今の“STYLE”にマイナスな影響を与えるのか。事務所側は本当にわかっているのだろうか。・・・いや、わかってはいるのだろう、だからリークをしたわけだし、事務所側も焦って、今回のようなリーク沙汰が起こしたのかもしれない。

ここで誰も読んでいないブログにおいて、芸能界の裏事情など何もわかっていない一般人の俺がうだうだ書いても仕様がないかもしれない。しかし、これは完全に「安室奈美恵のブランディング」を見誤っているといわざるを得ない。目を覚ませ、安室!という記事もあったが、俺からしてみたら、目をもうちょっと開け!事務所!と言いたい。

今回のリークによる文春の記事は、たしかに安室奈美恵側には、事務所側からいってみたら「効果覿面」だっただろう。・・・が、もう少し事務所側にも冷静になっていただき、今回の騒動を収束させてほしい。

と、私はファンなので、彼女を擁護する側になってしまうわけですが、安室ちゃん側も改めてしっかりと事務所と向き合って、本当、これからの活動に支障がでないように、進んでくれることだけを祈っている。

こんなやり方、誰の得にもならねぇよ。
今週の文春の記事で、ライジング・プロの平社長が安室側に「ファンも迷惑している」というメッセージを送ったという記事が載っていたが、ファンに迷惑をかけているのは、あんたら、事務所側だろ・・・。

今回の騒動が原因で、将来的に安室ちゃんが今のようなもう最高にかっこいいライブをできなくなって、観られなくなるなんてことは、絶対に厭だからね!!

本当、俺はただ、「かっこいい安室奈美恵」が観たいだけなんだよ。

安室ちゃんのスタッフによる公式Facebookに投稿されている、今回の騒動のことを心配しているファンたちによるあったかいメッセージをみてうるうるしたぜ、俺は・・・。
安室ちゃんのファンは、強いぜ。



今年であってハマって、そしてサマソニ2014で観たぞ!BANKS

クリックしたその瞬間、俺は完全にのみこまれた―たしか3月の半ばだったかと思うが、とある音楽ニュースサイトで、BANKSの新しいミュージックビデオがアップされたというニュースページをみつけて、そこに掲載されていた女性―BANKSのポートレートがあまりに美しかったので、音楽を聴く前から惚れた(笑)。そして、そのYoutubeにアップされたBANKSのBrainのミュージックビデオを再生した。

その瞬間、眼前にあった風景が黒く塗りつぶされた。静謐な暗闇に一粒の水滴が落ちて、暗闇が揺らぐ。その揺らぎの中から、そっと、しかしながら、まるで強力な磁石が押し寄せてくるかのような質量をもって現れた1人の女の声に、俺の皮膚、筋肉、骨、中枢神経から、血管の末端までが揺さぶられ、浸食されていった。それは、とても危険なようなものに思えた。しかし俺は、その浸食してくる、感情を発露していく女の声に、共鳴するビート音に、身をゆだねることを止められない。いや、「止めることをしてはいけない」という強迫観念にも似たそんな感覚に支配されたのだ。

そして、Brain以外の楽曲のミュージックビデオも去年からけっこうアップされているのがわかり、とにかくアップされているそれらを何度も再生した。そうしなければ絶対にいけない気がするほど、俺は、完全にBANKSの歌にやられたのだ。
 
BANKSはLA出身のミュージシャン。昨年、The Weekndのライブのサポートアクトに抜擢され、そこでその存在が話題となり口コミでどんどん知られていったようだ。誰もがそのBANKSの妖しい美しさと―ジャンルでいうならば、R&B、エレクトロミュージックを基盤とする―音楽にまいってしまったということだろう。

そんなBANKSが先日行われたサマーソニック2014に出演した。これが彼女にとっての初来日公演である。
俺は、本当にうれしかった。今年知り、そしてハマったその年の夏にいきなり彼女のパフォーマンスを観られるのだから。
ただ、正直不安もあった。ミュージックビデオでみせる彼女のもはや畏怖をも感じさせる存在感と音楽と歌唱は、本当に「生」でも成立するのか。本当にこのミュージックビデオ並みの、それ以上のものをみせてくれるのか・・・。そう思ってしまうくらい、とにかく完成度が高いBANKSのミュージックビデオだけが俺の彼女に対するイメージなわけで、場合によっては、かなり拍子抜け・・・なんてことがあったら、もうそれはかなりのショックを受けるだろう・・・とも思ってしまったのである。

観るまでは。

BANKSのステージは幕張メッセの中では一番大きいステージであるマウンテンステージで15時50分からのスタートだった。マウンテンステージは本当にデカい。まだファーストフルアルバムも出していないBANKSでこんなデカいところが絶対埋まることはない。しかし、そんなことはどうでもよかった。俺は、最前列を陣取ることに成功したのだ!もう、超うれしかったね。

15時50分、ほぼ時間ちょうどにBANKSはすべてが黒いコーディネートの服装で、颯爽と歩いて登場した。ステージが真っ白なカンバスだとしたら、瞬く間にカンバス全体を黒く塗りつぶしてしまう、一粒の黒い滴のような存在、漆黒の住人ともいうべき存在感を放つBANKSに俺の眼はたぐり寄せられる。ああ、間違いない。これは俺がミュージックビデオで感じていた、そしてずっと沈みつづけいたい存在であるBANKSだと確信し、俺は激情ともいうべき感激と共に登場した彼女に向かって拍手をした。

電子ビート音も操るドラムと、ギター&シンセの奏者2人とBANKSというシンプルなバンド構成。そのシンプルさゆえに、BANKSの歌声がステージ・パフォーマンスを決定づける。彼女の歌声は、生でも基盤がしっかりとした歌唱力とともに、声を震わせることによって、会場全体をのみこむような大きな波を放つ包容力のあるものであり、かつ浸透力のあるものだった。その歌声と確かなヘビーなビート音がシンクロして邪悪なまでの暴力ともいえる音楽を、オーディエンスの心臓に打ち付けてくる。
 
俺の不安はもうどこかわからない遥か彼方へといつの間にか消失していた。

まだフルアルバムをリリースしていないBANKSだが、EPやYotubeで公式にアップしているミュージックビデオ、リリックビデオをある程度聴いていれば演奏された音楽はほぼ全曲わかったと思う。俺は何度も聴いているから、わかった(笑)。BANKSに最初に出会った楽曲Brainもやってくれたし、Beggin For Threadもやった。

最後に演奏したのは、Waiting Gameという最もビート音がヘビーな楽曲だ。BANKSの楽曲のベースは―もちろん彼女の歌声が中心なわけだが―ヘビーなビート音にあるわけで、そのビート音が一番顕著に表れている楽曲がラストをかざったというのは、BANKSの音楽性を観客に決定づけるものにしたといえるだろう。

BANKSはパフォーマンスを終了して、登場してきたときの同じように颯爽と帰っていった。ちょっと笑顔をみせて。
MCのときも、笑顔であいさつしていたのには驚いた。あれ?この人、笑えるのか!なんて思ったくらいだ(笑)。ライブならではのキュートな一面も観ることができたのもまたよかった。
また、来日しないかな。いや、自分から行こうかな。そうまでもして、またBANKSのライブは観たいと思った。

ちなみにBANKSのファーストフルアルバムは、9月9日に発売予定である。これは、見逃せない!ぜひみなさんにも、BANKSが創り上げる、漆黒の世界へと落ちてほしい。






アジサイと雨、マイナス×マイナス=

雨がしとしとと降る季節となりました。

この時期になると、アジサイをいたるところでみることができます。基本的にアジサイは青や紫ですよね。その色のとおり、どうもみていて気持ちがブルーになってしまう花です。

青が澄み渡る空の日。それはもう、さあ、今日も仕事を頑張るぞ!という気持ちになれますが、会社までいく道すがらで咲いている、日の光に燦々と照らされた青や紫の陰気な色々のアジサイをみても、正直あんまり何も感じません。

一方、しとしと雨が降りしきる日。そんな日は、スーツも雨水を含んで、会社まで行く足もずしんと重くなってしまう私でございますが、晴れの日にはほとんど気にもかからない、道の途中にある、そのアジサイたちがとても、キラキラしてみえるのです。

陰鬱な気持ちにさせる雨×ブルーな色のアジサイ=+

そう、それは、-×-=+になるような、不思議な気持ち。

普段陰鬱な心持をしている私×陰鬱な気持ちになる音楽や小説=なぜか生じる普段感じることのない、どこか湿ったあたたかな気持ち。
アジサイと雨は、そう、そういう気持ちを強烈に私に植え付けるのです。

アジサイ

ショートストーリー「ちんちん」

アスファルトが熱い。あまりに暑くて少し唸ると、か弱き俺の雇い主がいちいち反応し、「どうしたの?タマ!暑いの?そうだよねぇ!本当に今年の夏は暑いねぇ」なんて言葉を発した。だったら、なぜ俺の首を無理やり縛り上げ、俺の肉球を焦がすような灼熱のアスファルトの上を歩かせるのか、ああ、早く雇い主の、クーラーとやらが効いたお家に戻り、クンクンいっていれば、勝手に出してくれる飯にありつきたいものだ!

「タマ!今日は、暑いから、いつもの散歩コースより短いコースにするね。ごめんね」ああ、そうしてくれ、か弱き俺の雇い主!もう、今すぐにでも家に帰ろう!と俺が喚くと、それは雇い主には『キャン!キャン!』としか聞こえないらしく、雇い主は、「そんなに散歩したいの?でも、ごめんねぇ。耐えられないの、この熱さには、タマもそうでしょ?そうだよね!」なんて、勝手に自分で合点しやがって!あと、毎回思っているのだが、「タマ」なんてありきたりでくだらない名前で俺を呼ぶのはやめてほしいものだ!もっと、カッコいいクールな名前を付けられないのか。まったく、人間というものは身勝手なものである。いったいどこでならったのか知らないが、楽しくもない景色を永遠とまわり続ける決まりきったルートの散歩、俺の頭をなでたり、俺の頬に頬を擦り付けたりする行為、したくもないお手、おすわり、ちんちん(これらは、俺を従順な存在にするためのくだらない訓練なのである。そして、雇い主のこれらのような要求にしっかりこたえると、従順ね!よくできました!と俺をほめたたえ、報酬として、飯をくれるのだ!単に、飯を得るための、演技だとは、知らずに!!)などなど、これらのような人間の行為、また俺への要求は、俺をよりよい「ペット」とやらにするのに必要不可欠らしいのだ!全くばかげている。くだらないし、苦しい。雇い主に限らず、いちいち俺のことを「かわいい!かわいい!」と群がってくる人間に対して、愛着を持たれるようなしぐさをしなければならないし(これも飯を得るための演技だ)、そうだ、無理やり「たかーい!たかーい!」といって俺の体を宙に浮かせるときに感じる、雇い主の指圧の痛みに耐えなければならないし(雇い主は、このたかーいたかーいが大好きなのである)、糞はいちいち決まったところで済ませなければならないし、眠たくても、ぬいぐるみのようにおもちゃにされ、寝られないことは毎日のことだし、特に先ほど申した「ちんちん」という芸当をやらされるときの、その「ちんちん」というのが、人間の男の汚らしい生殖器を指す言葉にも使われるというのを知って以来、それは恥辱以外の何物でもなくなった。
 しかし、俺は雇い主、その他の人間が俺に要求するすべてにしっかりと答えてきた。そうすることによって、はじめておいしい飯にありつけるからである。しかも、要求以上のパフォーマンスをすると、ご褒美のフルーツまでくれるのである!飯だけではない。雇い主に守られ、その雇い主の住む家の一部を定住の場所として提供され、俺の飯の資金を雇い主に提供してくれる親の存在という、いわゆる「安定」と「保障」(物質的なものともいえ、精神的なものともいえる)というものもついてくるのだ!
 だからこそ、俺が先ほどから言っている人間への「奉仕」も我慢してできるのだ。そんな環境を得ることができた俺は、勝ち組である。そう強く改めて感じたのだ。というのは、いつもの散歩コースとは違うルートの中で、野良犬が集う空地を横切ったからである。そいつらは、汚らしい毛を逆立て、どこからあさってきたのか、人間がごみ袋にいれて捨てたまずそうな腐りかけの残飯を貪り食っていたのである。ああ、いやだ、いやだ。そんなのばかり食べていたら、病気になりそうだ。安定も保障もしっかりした飯も享受できない汚らしい野良犬たち!そいつらをみて、「ちんちん」みたいな恥辱に耐えるくらいで、飯を食えるなんて、なんて俺は幸せものなのだ!と思ったのである。俺がその空地を横切るとき、2、3匹の野良犬たちが羨望の目でこちらを見ていた。そんな目で見るな!きもちわるい!・・・お前たちがもっと魅力的にふるまえば、誰かしら、お前らを拾ってくれる愚かな人間が現れるかもしれないのにな!あっはははは!!
そして、俺と、か弱き俺の雇い主は、クーラーの効いた家の中にはいり、俺は「かわいい」奉仕をして、雇い主は俺に飯を提供する。



「おい、みろよ。今じゃあ、『タマ』とか呼ばれている昔の俺らの同胞が首輪につながれ、あのかわいい女の子と散歩をしているぞ」と空地の野良犬のボスがいった。
「本当ですね、兄貴。しっかし、あいつもずいぶんきれいなからだになっちゃって」と仲間の1匹が行った。
「しっかし、この空地の中にいっぱいいる俺たち野良犬の中から、あの女の子があいつだけを拾った理由ってなんでしょうね?兄貴」と別の仲間の1匹がいった。
ボスは答えた。
「とにかく元気があるアピールをし、目をキラキラ無理やり輝かせて、普段俺たちが聞いたことがないような、かわいらしい『クーン、クーン』声をだし、人間のいう『ちんちん』という名の芸当を見事に行ったおかげだろう。おっと、あの男は、だれだ?この空地にくるぞ?もしかして、俺たちの中から、何匹か拾ってくれるかもしれないぜ。たしかに、俺たちは、今は首輪にもつながれていなくて、楽だけどよ、安定はねぇし、飯は残飯ばっかりでまずいったらありゃしない。やっぱり、うまい飯を食いたいし、安定した住まいが俺もほしいからな。いっちょ、タマちゃんみたいに、演ってみるか」
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