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lainとまどかの偏在のあり方について

まどか☆マギカが終わった。このアニメは2011年度もっとも有名なアニメになることは間違いない。

まどかは、結果として、魔女を生み出さない世界を創りあげるための戦う概念として、世界を再構築し、遍在することになった。

この、少女であった存在が世界を再構築し、世界に遍在するという物語のアニメは、98年にもあった。

それは、serial experiments lainというアニメである。僕の一番好きなアニメである。



lainは、どういう話かというと、すごく簡単に書くと、wiredとよばれるネットワーク(インターネットと考えてもらうとわかりやすい)と、現実世界(アニメでは、リアルワールドといわれている)がlainという一人の少女によって、混在し、つながっていくという話である。

Lainは、実は、wiredとリアルワールドをつなげるソフトウェアでしかなかった。しかし、ホムンクルスの肉体を得ているlainは、自分という存在を問うた。

「わたしって誰?」これが、lainをしばる問いとなった。

lainが画面の向こうにいる視聴者に問いかけるシーンがある。

「えっと、わたし、またわかんなくなっちゃって・・・・わたしがいるの、こっちなのか、そっち側なのか、あたし、そっち側のどこにだっている。それは知っているの。だって、つながっているんだもの。でしょ?でも、わたしの、本当のいるわたしのいるところって、どこ?あ、本当のわたしなんて、いないんだっけ。わたしは、わたしの存在を知っている人の中にだけいる。けど、それだって、いま今こうやってしゃべっているわたしは、わたし、だよね。このあたしって、あたしって、だれ?」

lainは世界を一旦リセットし、wiredとリアルワールドをつなげた。それによって、もともとそれらをつなげるために生み出されたlainは世界に遍在する存在となった。そう、wiredとリアルワールドをつなげることでlainと視聴者である「ボク、あなた」の境界線がつながったのである。
これによって、lainはlainとしての存在を示そうとした。しかし、ここには希望もなにもない。ただ、これは、lainと他者の存在の境界線をつなげただけであり、それ以上でも以下でもない。しかし、つまりこれは、lainを介して、人々の潜在意識がつながったということも意味している。この自己、人々の世界のつながり、ネットワークとリアルワールドの境界線のあり方を、サイコ・ホラーアニメとして提示したlainは昨年ブルーレイ化して、最注目されることになった。


では、まどかはどうか?まどかは、魔法少女が、魔女になるという最後の因果を打ち砕く祈りを、インキュベーターを通じて叶え、最終的に魔法少女となった。

魔法少女が、希望の存在であり続けるために、自らが、希望そのものとなって、戦い続けるという、世界のあり方すらも変えてしまう願い。それは、この人類世界を発展させた魔法少女の絶望と嘆きをすべて背負うことと道義である。

Lainとまどかのあり方は似ているようであり、全く違う。

Lainは自己のあり方を考え続けた結果、世界に遍在する存在となった。だが、まどかは、他者、世界に対して、自分自身を偏在する存在として、戦い続けることを選んだのである。

Lainあり方も、まどかの決断も、正解だったのかどうか、それはだれにもわからない。ただ、12年という月日を経て、世界に遍在する少女のあり方は次のステップにいったのかもしれない。

自己というものの認識、あり方を問い続け、結果としてwiredとリアルワールドをつなげて、世界に遍在する存在となったl「ain」を超えて、他者、世界の希望となって、戦い続ける存在になることによって、はじめて、自己のあり方を定義づけることになった「まどか」へと、少女の遍在の描かれ方が進化した瞬間を僕は、22日の深夜に目の当たりにして、目頭が熱くなった。


やはり、lainでのテーマを一歩超えたところに、まどかというアニメは到達していたのである。

これが、僕が、まどか☆マギカを好きである決定的な要素となった。

この二人の少女のあり方の違いは、アニメがネクストステージにいったことを僕は意味していると思っている。
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